コンクリート打ち放しで登場するPコン。
設計オンリーの時は、パネル割、Pコン割を書いて、
現場で確認。
どう割つけるか、とか図面上で散々考えていたけど、自分で工事をするようになってからは、
そういえば、あれだけ現場で見てたけど、実際コンクリート打ち放しを作ってみろ、って言われたら、
出来ないもんだ。
勿論、設計者の目線で、違うところをチェックするところが山ほどあり、Pコンの取り付け方やら、鋼管の締め方なんぞ、プレイヤー目線で、じっと見ている暇が無いというよりは、心のスペース自体が無い。
それより、現場での状況に臨機応変に反応しなければならないし、それどころじゃないのが実務。
『お前、設計やってて、そんなんも出来へんのか。現場で何見てんねん』
って、以前、親父から言われたこともあったなぁ。
けど、紙に書いてることを実際にやれ、って言われても、でけへんもんやなぁ、と。
何でもそうやなぁ、って思う。
特に、紙に書くことを仕事としている身にとっては、なかなか耳が痛く、厳しい現実。
ところで、そういえば、設計の看板をあげた時、処女作の和室の障子を設計する時、
紙を前に、手が止まったなぁ。
障子の組子を決めるのに、奈良と京都の建築を回って、1ヶ月ほどかけて寸法を与えたなぁ。
ってことを思い出した。
設計ができるからって、施工ができるわけじゃない。その逆も然り。
けど、現場で施工側で作ってたら、皆さんすごいなぁ、って思われるけど、
紙に書く仕事、って書いたり消したり、簡単にできるやん。って、思われる節もあり、なかなか紙に書く行為の重みを分かってもらえないのも現実。
勿論、他人の評価なんぞ、何の興味もないが、仕事として、価値の話になると難しい面もある。
どんな仕事もそうだと思うけど、自分が出来ていると思っている面って、本当に小さい面なんだと思う。
けど、その小さい面でも奥が深いのもまた真実。
やっぱり、すべてはリアル。そして建築は嫌なほど、リアル。
パソコン上で、書いたり消したり出来ないしんどさがある。
けど、やっぱり、すべて自分の手でつくりあげられる世界を、僕はいつまでも見続けていたい。
紙の上でしか、泳いでいなかった自分に対しての、何かしらのおそれなのか、好奇心なのかは分からないけど、
結局は、建築が好きなんやろなぁ、と最後はそこへ行き着く。
建築を作る喜びは1で、しんどさは9だけど、
その経験こそが人生のような気がしている。